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2020年9月30日水曜日

親子丼のおや抜き


 親子丼のおや抜き

 

親子丼から親を抜くと玉丼になる。卵、タマネギ、ナルトを刻んだようなものを甘辛いツユで玉子とじにしてどんぶり飯に乗せる。あまり玉子丼を頼んでいるひとを見ない。少しの金額で親、つまり鶏肉が入るし、もう少し出せばトンカツが入りカツ丼となる。カツ丼・親子丼の価格-玉子丼の価格=お得感を見いだせるか。この数値は親子で100から200、カツで200から300くらいか。しかし、チェーンの「かつや」のようにそもそもの値段設定がそば屋の玉子丼よりともすれば安い店もあり、そこそこうまい。そば屋で昼食をとることはほとんど私の場合にはなく、なぜなら値段の割に満腹感が得られないというなんとも貧乏くさい理由なのだが、それと同時に鰹出汁の濃厚なそばつゆの香りが店先から漂わなくなったと感じるところも理由の中での割合は少なくない。つまり、そそられないのだ。もう一つの理由は、つい最近まで、固まりの肉が苦手でカツ丼が食べられなかったということもある。今は、積極的にとは言わないがカツ丼もなんとかできる。以前ならば、みんなでそば屋に行かざるを得ず、そばでは腹が満たされず、丼物となってしまい、玉丼を頼むのがケチなようで嫌だった。実際カツ丼を勧められたこともある。大きなお世話だ。いろいろな事情が人にはある。世の中にはカツが苦手だったり、刺身を見るのもいやだったり、うなぎなんてとんでもないという人もいる。私だ。人生損をしているとよく言われるが嫌いな物を無理に食べさせられる苦痛の方がよっぽど人生の損失。玉丼から人生の損失。大げさな話だ。自分で玉丼を作ることもある。その場合は、あれば、出来合いで構わないのでコロッケをカツに見立ててコロッケ丼にする。または、揚げ玉を入れて、狸丼にする。狸丼は勤め始めた頃、そば屋で知ったメニューだ。それこそどんぶりの中では外道めくが、それは私の知っている範囲だけの話で、それがメジャーな、ともすれば玉丼といえば揚げ玉(天かすというかもしれない)が入っていて当然という地域もあるかもしれない。もしそういう玉丼ならそれはそれでおせっかいな玉丼かとほんのり思う。

2020年9月29日火曜日

妻の病気


 妻の病気

 

朝目覚めると妻が顔を歪ませて腰が痛いと言っている。先般、腰を痛めていたのでそれかと思ったが、痛くて動けないといい、戻してしまった。そして排尿障害があるという。腎臓か。熱はない。それでも子供たちを学校へ送り出す頃には少し落ち着いて、用も足せるとのことだった。ぴんときた。しかし、素人判断はまずいと、近くの医院を探したが、あいにく木曜日で休診ばかりだ。仕方ないが大きめの病院にかかることにした。プライベートではあまり運転しないミニバンを運転し、駅前の病院に向かった。ここは私もよく通ったがものすごく待たされるところだった。しかし、診療と入院の機能を分けて大分改善されたと聞いている。どうなるかわからないがどうせ暇なので思い切ってかかってみると、受付から診療、検査、会計まであわせて二時間半ですんだ。ちょっとした名前の手違いがあり、そこで合計十五分ほどロスしたが、それでもそれだけ。何が改善されたのだろう。以前は予約しても半日、下手すれば昼下がりまで時間がかかったものだ。循環器系の科は分離されていた。もともと心臓の疾患に定評のある病院だったのでそれだけでも大分違うのだろう。しかし、検査まではよかったが、何の病気かは結果がでるまでわからず、わかるまで一週間かかるという。尿から細菌はでていない。とすればやはりあれだ。たぶん、石だ。結石。痛いのは超一級だが命に何ら関わらない重いのか重くないのかのあれ。贅沢病などとも言われる。なぜわかるかと言えば私も何度もやっていて、いまも二つ三つ入っているから。もしも違う病気で吐くほど痛み、排尿に困難が生じるとすれば何の病気か。菌も出ず。それはちょっと怖い。しかしこの一週間、どうすればいいのか。石ならとんでもなく痛くなる可能性がある。いつどう痛むかわからない。波もある。びくびくものの一週間だ。担当は今風の若い医師で「また来週お会いしましょう」と司会者のようなことを言っていたらしい。痛み止めくらいくれてもいいのに。そして家に戻って、車の止め方で妻と諍いになる。少しよくなったからといって。妻、あの痛さはなまなかじゃないぞ。

2020年9月28日月曜日

円高


円高

 

固定相場の時代から円はどんどん高くなり続けている。360円から70円台まで下がり、今は100円プラスマイナス20円程度での推移。その昔、フェンダーストラトキャスター、アメリカのフェンダー社製エレキギター、よくカタログをもらいに楽器屋に通ったが、いくらぐらいだったろうか。本土では2000ドルくらいだったのだろうか、また、関税などもいろいろとあったに違いない。30万円以上していたのではないか。今と違いおなじストラトでもひとタイプしかなかった時代。廉価版なんてない。有るのは機種で、エントリーモデルが「ミュージックマスター」という機種だった。日本円で10万円ぐらい。それが、円高がすすみ、価格改定価格改定で次々と値札が書き換わっていった。10万、9万、75千円と、最終的には6万円ぐらいまで日本価格が下がったと記憶している。これなら無理して買えるかも、と思った。その当時はそうなる仕組みがよくわからなかったが、変動相場制とはそういうものなのだ、と覚えた。 

2020年9月27日日曜日

マスク


マスク

 

マスク問題というのがあるのかないのか。私も勤め人時代、風邪予防にかこつけて冬はマスクをしていた。部下も何人かしていた。マスクは風邪の予防になる。マスクは暖かい。マスクは口臭を漏らさない。そして、マスクは顔の半分を隠すことが出来る。マスクをしていると意外に気づかれない。いろいろなことを。目が語るかもしれないが細めておけばいい。言葉に気をつけていても表情にでる。思いは顔に書かれる。私なぞ顔面黒板ですべての感情が居酒屋の本日のおすすめみたいに頬に書き殴られる。それは当然あまり読みとられたくない感情で、だからマスク。十月あたりから四月の半ばまで。マスクビズ。最後の方はこれにかなり救われた。とにかく死にそうな顔をしていたから。すると今度は目の下が真っ黒になった。クマといった話ではない。茶色の靴墨を塗ったみたいに。目に来たか。今は純粋な用途でしかマスクをしない。しかし、たまに外出する人混みにはマスクは必携だ。マスクをして目の下を茶色に、めがねをかけて人混みに紛れている。 


コロナのような疫病が流行るなと想像もしなかった頃の話です

2020年9月26日土曜日

腕時計について


腕時計について

 

いま、タイメックスの時計にはまっている。タイメックスはアメリカの時計メーカーで、オバマ元大統領もつけていた。というと高級腕時計かと言えば、一万円しなくて買える。ひととき流行ったスウォッチのような位置づけを自分の中ではしている。タイメックスにはインディグロといって夜にも見えるライトがついていることが多い。また、イージーリーダーといって文字がはっきりと大きく、見やすい物が多いのもうれしい。先日、オークションで3000円せずに落札した。やはりどことなくチープではあるが、学校にかかっている時計のようで愛嬌がある。素材の質感の問題だ。昔流行ったアイビー時計(紺赤紺の横ストライプベルトのやすい時計)を思わせる。てかてかつやつやではなく、少しヤスリをかけたようなシルキー仕上げにすれば印象はだいぶ変わるが、値段もだいぶ変わりそうだ。しかし、8000円ぐらい奮発すれば、見た目てきにはしっかりした物が新品で手に入る。七本買って日毎に変えるなんて言うのもおもしろいかもしれない。が、私の場合は誰にも気づかれず完全に自己完結となる。そもそもおしゃれというのはそういう自己完結的な物かもしれない。見せびらかすのではなく自分の中に秘めておくような。わかる人だけわかる。そしてにやっと。なんかいやらしくもある。タイメックスはアンティークもおもしろい。そして、安い。そう意味ではアンティーク腕時計はラドーやウォルサムやティソなどのスイスの超メジャー以外のメーカーのものもおもしろいと思う。一万円程度でかなり個性的な物が手に入る。押し出しがつよいフェイスも多いので、「どや」とやりたい人はいいかもしれない。私が腕時計に求めるのは「文字盤が見やすい」「秒針がある」「日付がありできればそれが見やすい」「願わくば正確」といったところか。それで普段はシチズンのソーラー電波時計をつけている。メンテナンスいらずで水にも浸けられる。しかし飽きる。重い。薄くて見やすい時計としていま私にはタイメックスが際だつように見えている。 

2020年9月25日金曜日

マイ電柱

 


マイ電柱

 

オーディオの世界はきりがない。気にし始めるとすべてが気にくわなくなり、スピーカーの角度もミリ単位で少しずつ調整するような世界。しかもオーディオケーブルの善し悪しから長さ、置き方まで、レコードまたはCDプレーヤー、プリアンプ、パワーアンプ、スピーカーにいたるまでいじるところが無限にある。そして出てきた音の「いい音」というのには絶対値はない。寺島靖国氏の著作を読んでいるとそのあたりの悪戦苦闘ぶりが滑稽ながらも自分にもレベルの差はあれそのような凝り性の性質が少なからず備わっているのでこれは安易に踏み入れては行けない領域だなと危険に思う。オーディオは小さな音でいい音を出すのは本当に難しい。有る程度音が大きいといい音に聞こえてしまうが小さい音ではごまかしが利かない。そして私は、アキュフェーズのプリメインとリンのケイタンというスピーカーでオーディオを投げた。どうせソースはPCなのだから、とアホらしくなってしまった。ただ、以前にも書いたが、そこにデジタルアナログコンバーターをかますだけでかなり音質は変わる。私としてはマニアともいえない単なるオーディオ知ったかぶりだが、命を懸けている人はもはや求道者と、部屋から作り上げてしまう。ただいい音のための部屋。そして、ついに電源にこだわり電柱を別に設置。そんな人をテレビで紹介していた。電気も原子力発電の物に限るなどと言い出しかねない勢いか。しかし、電源については非常用のポータブル電源でかなり音質が変わることを知った。バッテリーから電源をとると音がいいとアマゾンのレビューに書いてあったが、半信半疑で試してみたところ素人でもわかるくらいに音の解像度が上がった。電柱は250万円。ポータブル電源、約4万円。意外に使用時間が短いのが難点だがCD一枚くらいは聴ける。もっとも私は昼間の電源用にかってみたもののなんとなく使うのに配線などが面倒で部屋の隅で静かに放電しながら埃をかぶっているという有様。

2020年9月24日木曜日

マイナー音楽

 


マイナー音楽

 

曲調のことではない。いわゆるメジャーシーンに出ることの無かった音楽。1980年代の日本の軽音楽シーンはテクノやニューウェーブの台頭で異様に盛り上がっていた。しかも横並びではなく、個性を競って、個性を追求しすぎてこんがらがってしまったようなマイナーなバンドがたくさんある(らしい)。というのもそのあたりのマイナーシーンのメジャーどころ(いったいどっちだ)をユーチューブで漁っていたらしらないグループが関連動画でいろいろと出てきたからだ。ちらっと聴いてみると「ああ、言わんとするところはわかる」とか「あああのアーティストを意識しているんだな」とかわかるものがほとんどだ。当事者にはそんな意識はなかったかも知れないが私の耳にはそう聞こえてしまう。やはり、戸川純などは並外れた才能と個性の持ち主だったのだなあと感じる。このあたりのシーンは少し掘り下げていく価値がありそうな気がする。自分がいいなあ、と思える曲にこの年で出会えることはそうそうない。体も音楽を聴く耳も贅肉がつきすぎている。何を聴いても新鮮だった、もっと言えばなけなしの小遣いをはたいて買ったレコードはそれがたとえはずれであっても元を取るべくヘヴィに聴いた。いまはそれがタダで聴けてしまうので耳も雑になってしまってはいるが、そのあたりをさまよう求道者になろうか。感銘なり戦慄を覚える曲を一曲でも自分の中に増やすべく。