ダウンサイド % 高値から 指数
S&P500 -15 -38.6 2947.29
DOW30 -15 -33.8 24368.83
Nasdaq -20 -53.7 7434.61
ここまでは覚悟した あと少し耐えられるが ここから-10%となるとかなり厳しい
逆にこの数値に達したらレバナス3倍 SP5004倍 をつみレバしていくつもり
今のところ元気にFIER生活継続中 5年程度この生活を継続予定
ダウンサイド % 高値から 指数
S&P500 -15 -38.6 2947.29
DOW30 -15 -33.8 24368.83
Nasdaq -20 -53.7 7434.61
ここまでは覚悟した あと少し耐えられるが ここから-10%となるとかなり厳しい
逆にこの数値に達したらレバナス3倍 SP5004倍 をつみレバしていくつもり
今のところ元気にFIER生活継続中 5年程度この生活を継続予定
相場についての思考 観察 判断はどこまでが
どう労働ととれるのか分けがたいが 実際に
入力 集計 考察作業をする時間というのは
週あたりに集約したとしてせいぜい1時間程度
である ツイッターで相場の雰囲気を見つつ
何人かのアナリストの意見を読み それらを
もとに自らの判断で投資作業をする あたりも
あれば外れもある 外してもいいように投資額
を管理厳守する 今している仕事と言えばそれ
だけである
そこには他社との軋轢もノルマもないし 圧力
も競争もない 付随する報告業務もプレゼン
もなく 営業も備品管理もない つまり付随雑務
はほぼないに等しく 暮らすためにいろいろと
雑事に追われることが全くない生活をしている
と言える 逆の視点を持つならば勤め人とは
直接の利益に関する以外の無駄な作業をな
んと行っていることだろう なんとそれらの雑務
にまみれていることだろうと見える 仕事 という
行為自体が幻想のように思える 日報を付ける
ことの意味など 限りなく希薄なものに見えてくる
儲かるか 損するか 身銭が増えるかなくなるか
の二択の世界が投資生活なのである
夢や希望 生きがい 人生の意味 それらから
いくらでも遠ざかれる生活である とても単調で
暇な時間が充実感なく過ぎていく それでも
資産が尽きなければ生活ができる こんな暮らし
は人間として間違っている といわれれば そう
かもしれないが 精神を病んでまで極限まで
労働するのが人の道かと思えばそうとは言えない
疲弊した人たちが他人にきつく当たり弱い者へ
怒りを向けているのを見聞きすると こちらの
人を傷つけもしない傷つけられもしない 自由
かつ自己責任の生活の方が自分にも社会にも
優しい気がする
だが このような生き方はあくまで社会の特例
またはバグのような気がいつでもしている とく
に威張れるものではなく 後ろめたさがなんと
なくつきまとう 働く とりわけ 人の役に立つ
ということの尊さには長い勤務生活から離れて
ようやく気が付けたところである 他人のため
を思いやる生き方の美しさは年齢もあってか
最近とみに尊いものだと感じている
ならば それらの活動に身を投じるか といえば
やらない 自分の性格に合っていない 他人に
奉仕するという気もちが希薄だ それが悪い
とも特に思わない ともすれば自傷他害に走り
たがるのが人間の本質の一つであると思うが
この生活のおかげでそちらの方向へ行かずに
すんでいる 私に不快な思いをさせた他人が
煩悩のさなかでもがいていると考えるとこの
のんべんだらりとした生活も悪くは決してない
だた本来人間の生は退屈だと思うだけである
投資で食べていくというのはどういうことか
投資対象に投資をして対象が値上がりした時
売り抜けて値上がり益を得る または配当を
受け取る という非常にシンプルな営為であり
タイミングの判断 破産しないためのリスク管理
が付随する作業となる 特に毎日ガチャガチャと
取引する必要もないし リスク管理だけきちんと
していれば暴落しても破産はしない 逆に破産
しないようにするのがリスク管理である
ある程度の年齢になれば年金が支給される
額は減少するかもしれないが 私の年代で言
えば多分 極端な年金額減少というのはない
だろう 現在 支給年齢を70歳にするという
案が出ていないので9割以上65歳になれば
年金を受け取ることが出来る 支給開始年齢
の変更には10年程度の時間を要する 前例
からするとそうなっている へたにいじると政権
が飛ぶ そのくらいシニアパワーの強い国にな
っている
投資のタイミングを計る 相場の波を読む 推移
を予想する それらは過去の資料から読み解
いたり 指揮者と言われる人の意見を参考に
したり(信じたり 鵜呑みにしてはいけない) 勘
を働かせたり 知恵と運と情報が必要となるが
こればかりは実際にやってみないと会得する
のは難しいし その過程で何度も失敗が重な
るものだ
自信の年齢 資金力 を総合してアーリーリタイア
に踏み切ったのが52歳で 漫然とした甘い
姿勢からあっという間に退職金相当を信用取引
の売り で失った この時 かなり本気で追い込
まれ リアルに自殺を考えたが よく考えたなら
アッパーマス程度の資産はまだあったし まだ
リタイアから何年も経っていないので思い直した
ただ 働いていない妻子がいたので精神的
には相当きつかった
それで今 2022からの米国利上げに際しての
相場のごたごたで相場は-20%近くまで調整した
が とりあえずなんとか年金受給年齢 あと
約7年は何とかきつくも持ちこたえられる資産
ポートフォリオとなっている
2022年4月1日からアーリーリタイア6年目に突入しました
きっと そんな手持ちでリタイアしてんの? と思われる資金力だが娘の私大の大学学費も確保したし 妻も働かせずに何とかやってきた だめになったら夫婦そろって働こうと思うが 今のところ破産確率は低い 一年一年 投資活動を積み上げていくだけだ
で すんごく暇 特に充実した人生とか関係なくひたすら暇 五年も暇しているとやりたいことも尽きてきてほんと暇 こんな時間を人生で何年も過ごせるなんて思ってなかった こんな生活だから見える平坦な景色 意識限りなく低くて暇
投資利率 29.1 %
勤め人時代を通じ 生涯最高年収達成
主力は
大和-NASDAQ100 3倍ブル
大和-NYダウ・トリプル・レバレッジ
大和-iFreeレバレッジ S&P500
年末にほぼ全決済
年末に100万ずつ注文 年明けどうなるか
そのほかは
アライアンス・バーンスタイン・米国成長株投信Cコース毎月決算型(為替ヘッジあり)予想分配金提示型
アライアンス・バーンスタイン・米国成長株投信Dコース毎月決算型(為替ヘッジなし)予想分配金提示型
で配当確保
日本株は
SBI-SBI日本株4.3ブル で下がったときに買い 上げたら売り
今はほぼノーポジ やや勝
エムスリー
SBG 利確
いずれもコロナ時にいじった ただ株
高値から80万くらい下がったところで売り 握力が強すぎた
日本株はともかく
米国については下げたら買い という単純な手法で勝てた簡単な年だった(結果として)
連休明け
理想の朝食
現在午後九時二十分、この時間に書き物をすることはほぼない。ニューヨークが始まる前、ヨーロッパが開いてしばらく、相場を観察しながらたまに為替取引の設定を微調整して、テレビを見ながらだれている。六月終わり、為替のボラティリティがきつい。一時間に五六万程度の値幅でぶんぶん荒ぶっている。何だか・・一荒れ来そうだが悩んでも仕方ない。こんな時は朝食について考えたい。
私は、ご飯に味噌汁、おかずが三種などといった食事を朝食にとったことがほとんどない。幼い頃は一汁一菜の様な食事をしていた気もするが、思春期のあたりからはパンにしていたかと思う。パンに片目の目玉焼き、それを半年だとか。同じものをしばらく食べつづけても別に平気な質なのでこうなる。それでそれがイヤになり次は同じ菓子パン半年、次はハムサンド半年、そんな感じだ。単身赴任の時は100%のリンゴジュース一杯で仕事に行った。当然腹が減る。事務所を出たらすぐに食事をしていた。11時オープンの吉田うどんの店。それも半年ぐらい続けたかもしれない。結婚してからはもう本当に適当だ。きちんと朝食を子供たちと囲んだ記憶などない。テレビドラマでそのようなシーンをよく見るがどういう時間帯に食事しているのか。私は長いこと七時くらいのバスに乗って仕事に出かけていた。朝はあまり腹が減っていないというのもいい加減になりがちな原因だ。いい加減にすませて始業の頃、もう腹が鳴っている。それがいまいちふんばりが利かなかったり詰めが甘かった原因かもしれない。
では、理想の朝食とは、どのようなものだろうか。和食ならご飯、粒だった炊きたて、赤味噌の味噌汁、具はほうれん草や油揚げ、豆腐など二三種、そこに高菜などの小鉢、納豆、卵焼きの中が少しトロッとしたもの、少しの野菜サラダ、なかにポテトサラダやハムが入っているような、そして肉団子二三個。こんな朝食がいいと思う。それに近い朝食を妻の実家に何日か泊まったときに義母が用意してくれた。義父はいつもこの朝食で仕事へ行くのかと思い羨ましかった。やればできると妻は言う。しかし、やらせるつもりはあまりない。朝食が遅い昼食になりそうだから。やりたければ自分ですればいいのだが、狭い台所に大人二人は本当に邪魔くさい。
本格中華
だましだまし
2日連続のPCトラブルだ。電源を入れてもすぐに落ちてしまう。
いよいよだめかとサプ機の整備に取りかかった。
その間、さまざまな対処を試みてみたが芳しくない。
最後に、埃をブロアでよく吹き飛ばし、どうもスイッチの接触あたりに原因がありそうと踏んで、二度ほど棒でひっぱたいてみた。
すると、直った。
埃がたかっていたのか、それとも小虫が入り込みでもしたか。
とりあえず復活した画面を見ながらこの文を書いているのだが、早晩買い換えを余儀なくされるだろう。
だましだまし。
いろいろな物をだましだまし使っている。ベースのコードは断線寸前のものを、スピーカーはジャックを抜き差しして、カメラは黒いしみを、運動不足の体を、だましだまし使っている。炊飯器はとうとうふたがはずれてだましきれなくなって買った。
だましだましと先延ばしは仲良し。切っても切れない縁。
仕事も、そういうことが多かったかもしれない。ここで負の遺産を精算してやる、などとつゆほども思わなかった。上はそれを求めてきた。
だましだまし、先延ばし。
身動き取れなくなってようやく腰を上げること多数。こういう人間はフリーの仕事に向かない。最近それを強く感じ始めている。
自分を律する。自分で。
忙しくない
暇ではない。しかし忙しくはない。勤めている頃に憧れた生活とは現在の投資生活は全く勝手が違う。
まず、自分を律することの難しさはフリー三ヶ月でいやと言うほど自覚できたが、だからといって律せるか、といえば流される。何事も想定通りにうまく行くことはない。できていることと言えば相場観察とこの短い書き物を続けていることぐらい。ドラムは一日二時間は練習しようと思っていたし、セッションにもどんどん出かけようと思っていたが実行に移せていない。しかし、それらすべてを勤勉に実行したところで自己満足に過ぎないことも分かっている。
で、時間に余裕があるとどうなるかと言えば、身の回り半径二メートル程度のことを考えるようになった。たとえば、収納や居心地の良さの追求、整理や飾り付け、あるいは食べることに関してのいろいろな工夫、レシピの追求など。完全に主夫思考。
珪藻土マット
集計の苦悩
業務スーパーふたたび
メモについて
変なスペースその後
雑多な物を片づけて、古い座卓をおいてみたら座禅に適した変なスペースができてしまったことは以前に書いた。何とか、その座卓を乗るものではなく、読み書きとして使えるようにできまいか。日曜。娘を口説いてみる。ここにドラムの椅子をおいてみるだろう、そうするとちょうどいい踏み台になって、危なくなくあそこに上れるって寸法だ。どう。まあ、どうでも。じゃ、おやじ、やってみるからな。とドラム椅子を組み立て、娘の枕元のぬいぐるみ群の中に足を埋め込むように無理くりしつらえてみた。たしかに、座卓の上に登るのは格段に楽かつ安全になった。が、椅子と座卓が近すぎて座って読み書きにはずいぶんと無理な体勢を強いられる。ああ、やっぱり無理があるか、としばし悩む。あ、思いついた。新たにテーブルを買って、反対側に置けばいいのだと。せっかく作ったあの、奇妙な一段高いスペースは無駄といえば無駄になる。が無駄と思わなければ無駄ではない。つまり、どっちでもいいのだ。問題は、椅子と机をまともに置けるスペースすら作れない我が家の状況にあるのであって、その状況は工夫により解決するか、断捨離を決行するしかない。しかしそこはへそ曲がりかつとっておく派の私のこと、断捨せず人から見たら阿呆としか見えないかもしれない工夫を凝らしてみることとしよう。日曜の昼下がり、娘は卓の上のウクレレ弾きとなっていた。無駄じゃないんだ、無駄じゃないんだ。
第二作業場をつくる
大型連休があける
コックピット改造
雨の外出
不審者