Translate

2020年7月31日金曜日

疑問氷解

疑問氷解

 

インターネットが一般化しておよそ二十年程度か。この間、長年の疑問がネットによっていくつも氷解した。しかし、私が疑問に思うことはそれほど大層なものではなく、解決しても特に他人の役に立つようなものではない。しかし、そのような、個人的な疑問というのはおそらく誰にでもあって、夢の話を聞かされるようにパーソナルな、おもしろいか、つまらないか、聞いたところで感じることもまちまちだろう。それでも、私はそういう他人の個人的な部分を聞いてみたい。その人の個性が例えば、長年の疑問の内容に反映されると思うから。それとも、割と普遍的で、同じような疑問を抱えて誰もが生きているのか。

長年疑問に思っていたり、もう一度見たい、確認したい、という事柄をネットの中に見つけたとき、私の場合、何だ、こんなことか、と落胆することがほとんどだった。勝手に頭の中で記憶がすり替わったり増幅したりして期待が膨らみ、実際を見ると膨らんだものがすとんとはげ落ちる。気が済んでしまう。そして、疑問は解かれ頭の中で修正され、あるものは忘れ去られ、あるものは正しく記憶され直され、あるものは疑問のままの方がよかった、と後悔を覚える。それでも気になる疑問は何らかの方法で正解に当たりたい。あわなきゃよかったという遙か昔のあこがれの人に似ている。がっかりしたとしても、あわないでいるより、一度は姿を見ておきたいものだ。

2020年7月30日木曜日

職場と生きてきた

職場と生きてきた

 

私のような勤め嫌いの人間でも、長年勤めていると人生の決して少なくない時間を職場で過ごしてきたわけで、人生の様々な局面も職場とともにあった。
例えば結婚したとき、子供が産まれたとき、家族で旅行に行ったとき、家を買ったとき、車を買い換えたとき、妻が勤めを辞めたとき、楽しかったりそうでなかったり様々な思い出が、職場での職務と同時に記憶されている。
あのときはあの顧客を担当していて、結婚のお祝いをもらったな、とか、あのときは仕事的に本当につらいときだった、とか、思い出が仕事に紐付いている。
仕事とともに今までの人生はあったのだ。それで食べていたのだから当然といえば当然、その記憶を消し去るという事は出来ない。
が、基本的に過去にしがみついていたくない。戻ることの出来ない橋をすでに渡って何年も過ぎた。
この生活にもなじみつつある。
職場を抜いた、元サラリーマンの人生。いつか、とうに忘れた初めての職場のように、この間まで勤めていた職場の記憶も薄れて、上司や同僚、部下のことも忘れ去ることになるだろう。結局、最後には個人が残る。相手からも忘れ去られて一人残される。そこからが長い。

2020年7月29日水曜日

がんばる

がんばる

 

幼い頃からがんばるべく教育されている。がんばらなければならないと脅迫されるように成長し、がんばって生きるのが宿命のように人生を送る。
私はがんばらなかった方かもしれないが、少なくとも脅迫観念のように何かしなければ、今よりもよくなるように何かをし続けなければならないと思いながら生きてきた。いつも何かを考え続けてきた。それが性分だった。
そして今、とりあえず時間に余裕ができて、がんばることを停止した今、なんとも居心地の悪い思いがこころどこかにわだかまって、まだ解放されていないな、と思う。
がんばらないことをがんばらなければならないのか。何だそれは。
こう言うときに、そういう気持ち、たとえば、後ろめたさとか自己否定感が心に巣くっていると、多分それは人に伝わる。そして、必要以上に警戒心を強めたり、虚勢をはったり、何とも無駄な空回りを産みそうだ。
今は、歌ではないが、時の流れに身を任せ、成り行きに寄り添い、焦らずに、堕落をおそれずに、自然体で存在することができれば別の景色を見ることができるだろう。
そして、そこから、がんばることをがんばる自分を見つけることができたなら、サラリーマン生活では決して得ることのできない、自由人としての充足感が得られるのではないかとときおり夢想して過ごしている。

2020年7月28日火曜日

会議の昼下がり

会議の昼下がり

 

今思えば会議の多い職場だった。会議のための仕事も結構あった。資料は分厚く、上層の会議になるに連れページが増える。幹部会議の資料を閲覧させてもらうと、単行本一冊分越え、堂々たるものだった。そして、その中では企業特有の文法が使われる。本部などはその作文にいったいどのくらい時間をかけていたのだろうか。厚すぎで読めたものではない。まあ、それは私レベルごときのことで、そうそうたる上層部はそれらの膨大な書類を吟味した上で、経営の舵を取っていたのだろう。それらの方針は会議として落とされてくるのだが、午後の会議では私がよく落とされた。ページは開かれたまま、首がガクンと崩れ落ちる。どんなにがんばっても落ちる。おそらく、睡眠時無呼吸で昼に落ちるというサイクルが慢性化していたのだろう。知り合いで強制的に空気を送る装置を夜つけるようになって昼に眠気を感じなくなった、という人がいた。私もそうすれば昼の活動クオリティがもう少し向上したのかなとも思う。やはり知り合いで無呼吸の人は睡眠時間自体も少なかったと思うが、仕事のし過ぎかどうか知らないがガンで若くして死んでしまった。今は、昼の眠気も寝て解消してしまう。会議の昼下がり、ぼんやりと毒でも薬でもない、人の意見を聞きながら、うつらうつらしていた日々が懐かしい。ならば意見を出せと言われればその通りだが、そのころは辞めることばかり考えていた。もう仕方ないか、という気持ちもあった。だからやはり、辞めたのは労使ともに正解だったのだ。

2020年7月27日月曜日

ギャンブル依存

ギャンブル依存

 

ギャンブルに依存というと違和感があるかもしれないが、一時期スロットにはまったことがあって、今から考えれば依存症の手前ぐらいまでいっていたのかもしれないと思いぞっとする。今はそれが投資に形を変えているだけかもしれないが。
なぜ依存症かもしれないと思ったかと言えば、スロットをやっているときは全く腹が減らなかったからだ。
カクンとレバーを倒し、パチパチパチとボタンを押す。ひたすら何かの修行の様にその動作を繰り返す。無我の境地に入っていく。何もかも別のところにおいてきたようにその動作の虫になっている。
のどは渇いても腹は減らない。時間はいつの間にか過ぎ去っている。リーチがかかり、覚醒する。座り直してボタンを押す。ああ、オバケだ。小当たりのゲームを消化しながら、早速思いは次の当たりに飛んでいる。そして、大当たりが来る。そのあとまた、間もそれほどおかずにまた大当たりが来る。そして一万円を使って三万円勝つ。
その記憶はしっかり脳裏に焼き付く。そして忘れられない。次の日には勝った以上に負けが込む。ムキになる。繰り返しているうちに生活の中心にそれが来る。社会生活に支障をきたし、依存症の診断が下る。
私もその手前ぐらいまでにはいたと思う。勤め帰りには打たずにいられなかったのだから。私の場合はどう抜けたのか。単純だった。
病気になってしばらく入院したのだ。病に苦しむうちに憑き物が落ちたように興味を失った。さらに、のたうち回る痛さのさなか、たばこを吸う状況でもなく、三日間うなされたあげくたばこも何となくやめて、そこから二十年近くなる。
病気により二つの依存状態から抜け出すことができた。そして今は、ネットの世界にどっぷりはまり、かといってITスキルがあるというわけでもなく、寝るかディスプレイの前にいるという有様だ。しかし、腹は動かなくてもしっかり減るのでその分太って始末に負えない。

2020年7月26日日曜日

投資を始めて

投資を始めて

 

2005年昇進した。何か新しいことを始めたいと思った。二人目の子供が産まれ、共働きがきつくなった。妻に仕事を辞めさせた。時は投資ブームだった。お金に働いてもらう。持たざるリスク。今となっては相場のピークを過ぎたときに聞く言葉だと思う。仕事で、ファイナンシャルプランナーの資格を取らされた。PERPBR何のことか全くわからなかった。経済に強くなりたいと思った。セミナーなどを企画することが増え、講師と打ち合わせすることが多くなった。自然、投資にも話が及んだ。まずはやってみるべきだと言われた。自分なりにいろいろ調べた。そして始めた。個別株への投資だった。すぐに30万程度含み損になった。そのままにしておいた。投資信託のバランス型をやってみた。毎月分配のものだった。個別株は何ヶ月後かに70万円ほどの含み益を産んだ。ユニットバスが取り替えられると思った。その年を過ぎて明けてすぐ、ライブドアショックがあった。持っていた。みるみる損失は膨らむ。きつい塩漬けが短時間で仕上がった。のめり込む性格なので、その当時は資産の半分以上いろいろな金融商品に投資していた。感覚がおかしくなった。その後、試行錯誤を重ね、FXにも手を出した。たしか、サブプライム問題の後だった。リーマンショックが来た。百万単位で資金が飛んだ。すべての資産が多額の含み損を発生させていた。デイトレードもやった。有給をとって。生活費の余剰はすべて投資に回した。いつも早めのナンピンで墓穴を掘った。ぬか喜びと絶望を繰り返し、民主党政権での円最高値も経験した。最悪期で資産は40%ほど目減りした。その後、2014年の政権交代からかなり戻した。含み損は見る見る減り、ある資産はロスカットし、FXはやめ、株は含み益を持つようになった。相場の循環を知った。いずれ巡って、元に戻ることもあるのかと。そして、時間の偉大さを知った。大切さを。時間が経てば、ゆくゆく思い描くようになるかもしれない。思いをもつことが重要だ。そして、いま、アーリーリタイアを実現しようとしている。件の講師は、儲かった後、その資金をどう使うのかが重要だと言った。あなたはその資金をどう使いたいの? そのとき答えはしなかったが、組織に属さず、自由に暮らす、がその答えだ。いまここで、改めて答えたい。ちなみに、未だにあの、ユニットバスほどの儲けの時からは一度も総資産がプラスに浮上せずに現在に至る。

2020年7月25日土曜日

大人、自分探しの夏、2017

大人、自分探しの夏、2017

 

髪が抜ける。バスタオルで荒く拭くだけでも何本も抜けている。ガムテープでくっつけて拾う。このようにテープに付いた髪を見ていると、それがたとえ美しい女性から抜けたものと想像しても何となく忌避すべき物に見える。誰でも髪は抜ける。程度差はあるかもしれないが、学歴の差も家柄の差も関わりなく抜ける。むしろ頭脳派の方が抜け激しいかもしれない。おかげさまで私は頭脳派でもなく、幾分量は減ったものの、高校一年の時と同じ髪型を現在もしている。サラリーマンの時も髪をあげたり、後ろに流したりしなかった。今思えば、何へのこだわりだったのだろう。髪をおろすだけで五歳は若く見られる。良くも悪くもある。基本、前髪は鬱陶しい。暑い。高校一年の夏はあまりからっと晴れた記憶が無い。前髪も鬱陶しく、午後、親父が気まぐれでどーんと買ってきたLo-Dの大きなステレオセットでピーモデルの「ランドセル」を聞いていた。それこそ、表も裏も何度も何度も。そして、そのレコードはいま実家からこちらへ持ってきている。かけるのが面倒で、ユーチューブから拾って懐かしい曲を聞いている。そして、曲に合わせて練習マットを叩いている。あのころは菜箸で枕を叩いていた。当時も練習マットはあったが、音が大きく、タッチもリアルドラムとは全く違った。三十六年の時をまたいで、些事の違いはあれ、2017、同じような夏を過ごした。まだピーモデルを聞いているとは高校生の時には思わなかった。あのときよりは少しだが、確実に上達した。今更ながら、早いエイトビートとドラムロールで、だいぶはったりがかませることも覚えた。それでどうするの? と聞かれても困る。また、あの夏のように自分探しを始めてしまったのだから。
///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
2020初夏まだ旅のとば口のままです