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2018年2月7日水曜日

怒り


怒り

映画やドラマで主人公が、たとえば事務室で机を蹴飛ばす、書類を放り投げる、これ、実際の職場でやらかしたら完全にアウトなのはおそらく勤め人の共通認識。
うまく行かないとき八つ当たり。
気持ちは分かる。
でもやってはだめ。
ドラマや映画でそのような怒りのシーンが出てくると、ああこれは記号だ、と思う。
怒りを身体で表現。
暴力的、破壊的に。
あれらの子供っぽい怒りの表現はそれができない実社会の鬱憤晴らしか。
アンガー。近頃はそれをコントロールする事が大切と唱えられている。
アンガーコントロール。
アンガーマネジメント。
以前、マンガでブタイヌというのが出てきた。
その生き物は豚の顔としっぽ、犬の耳を持つのだが、頭にくると耳で目を隠して怒りを震えながら抑えるという設定だった。
ブタイヌは利口で大人だ。
怒ってもろくなことはない、しかし頭にくることはそこいら中に転がっていて、寄らば斬る、といったストレスフルな日常を過ごす。
自分も社会も世間もすべてが悪い。
もう何もかも気にくわない。
いったいどういうことだ。
そんな風になってなってしまったとき、静電気除去のように怒り除去の装置があるといい。
その装置は儲かりそうだ。
そしてクレームもなさそうだ、なとど引きこもりすっかり外圧によるストレス9割減の頭での平和な空想ビジネスに身を任せてみる午前十時前。
妻が掃除機をがんがんかけている居間。

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ところが 自分の中に思わぬ敵がひそんでいることに このときはまだ気づいていなかったのでした。

2018年2月6日火曜日

知られぬ名曲


知られぬ名曲

1980年アマチュアバンド全盛。
もてたければバンド。
楽器店もそれを全面バックアップ。
コンテストや無料ライブがあちこちで開催される。
それらのバンドの中にはたとえば、スーパースランプがいた。
のちの爆風スランプ。
サンプラザさんは本当に痩せていて、ステージ衣装に浴衣など着ているとたとえは悪いが戦前の病人のように見えた。
異彩を放つ。
リズム隊はおそらくプロではないかと思われた。
他のバンドとレベルが違ったが地元バンド連の中では異端。
「はじける若さ」「穴があったらでたい」という曲が当時の定番。
爆風スランプは別として、れらのアマチュアバンド連は当然、ほとんどメジャーにはなれず、しかし、いいバンドもいくつもあって、記憶に残る名曲もいくつかあった。
それらの曲は数回しか聴いていないのにいまでも時折思い出されて当時の空気とともに頭の中で再生される。
「少年」という曲があった。
少年が家出をして町を離れるという内容の曲だ。
スローテンポの重いビートで、しかしメロディーは覚えやすい。
今から思えばボーカルのひとは少し舌足らずの奥田民夫という感じで、歌は味があり、それらのバンド群ではある種大物感を醸し出していた。
イントロがベースで始まるその曲は少年の家出の情景を歌う。
すべての歌詞を覚えてはいないがサビの部分で「もしぼくがいま死んでも、鳥は歌い、風は吹くのかな」と繰り返されるところはゆっくりとした歌い手の動きとともに今でもよく覚えている。
そのとき、多少知恵がつきつつあった小僧の私は「自分が死んでも世界は今までと全く変わりなくえんえんと続いていくんだよなぁ」と当然の事実を認識し、その諸行無常感が絶えずその後の人生の随所で幾度となく繰り返されてきた。
死んだら自分はそこで終わり。
何もかもすべて無。
あのとき、あそこにいた友達や知らない人たちはあの曲を覚えているのだろうか。
覚えている人の中ではあの歌がたまには思い出されるのだろうか。
とくにどうという曲でもないかもしれない。
しかし「少年」は私の中では「知られぬ名曲」として今のところはっきりと記憶されている。

2018年2月5日月曜日

頭痛持ち


頭痛

小さな頃から頭痛持ち。
幼少の頃は月に一度程度、頭痛にのたうち回り、嘔吐した。
起き方がよくないと頭痛。少し寝不足だと頭痛。目から頭痛。いつも何となく頭痛。
頭痛と生きてきた。
それでも若い頃は一晩寝れば嘘のように頭痛が治ったが、今は頭痛が残る。
頭痛信号も常に感じていて、何かの拍子に頭痛が鎌首をもたげてくる。
緊張性頭痛という物らしい。
偏頭痛の薬を試しに処方され飲んでみたところ、腰が抜けて起きられなくなった。
したがって偏頭痛ではない。
頭痛にも波がある。
毎日頭痛が半月ほど続いたかと思うと、何となく頭が重い程度で頭痛にまで至らない日々がしばらく続く。
痛さにも波があり、本当に時折ではあるが、頭痛薬を飲まなくても直ることもある。
しかし、たいていは、酷くなったら薬を飲む。
外出時には頭痛薬が欠かせない。小さなケースに薬一錠、ポケットに入れていないと不安で歩けない。
ひとたび頭痛になると、いろいろと緩和策を試みる。
思い切り肩に力を入れて抜く。肩をぐるぐる回してみる。首を肩に思い切り寄せてみる。目を押さえる。目に力をいれて思い切り下や上を向くなど。
一時的に頭痛が緩和される。
首を回すのはあまり意味がないらしい。
しかしあらがえなくなればやはり薬に頼る。
それでも効かなければ最後の手段として、熱い風呂に首まで浸かる。
血行の問題なのだろう。
ここまですれば一応直る。
私は運動をするという習慣が人生において無いのだが、それが原因なのだろうか。
体を鍛えると頭痛も治るのだろうか。
頭痛の無い人生がどのようなものか考えられない。頭痛のない人生がとても羨ましい。

2018年2月4日日曜日

古本屋巡り

古本屋巡り

しばらく古本巡りをしていない。
ネットに頼って出歩かなくなってしまった。
お茶の水、早稲田、中央線沿線、たまにはそのすべてを一日かけて回ったりもした。
早稲田の古本屋街は通りに古本屋が点在して整然とした本屋もあれば、雑誌類が雑然と積まれているところもあった。
ひとつひとつパラフィン紙に包まれた純文学の、たしか、平野書店、大切に本を扱っていたがそれほど高くなかったと記憶している。
大変な手間だろうな、と思った。
私は、現代詩集など読みあさっていて、早稲田は結構扱いがあったと思う。
カミングスやアンリミショーは早稲田で求めた。
その頃、探していたのは中井英夫の文庫版「銃器店へ」や山川方夫の文庫本などだ。
そこで捜し当てたか忘れたが、本棚にあるのでどこかで買ったのだろう。
覚えているのは朝吹亮二の「封印せよ、その額に」をどこかの外棚から掘り当てたことだ。
薄い本なので気づきにくかったが、その頃は外棚までくまなく見て回っていたのを思い出す。本にどん欲だった。
とにかく、いろいろな本を読みたかった。
いろいろな映画、絵を見たく、音楽を聴きたかった。
本代を惜しまなかった。
しかし古本が中心にはなった。
買おうか迷ったときに買わなかった本はその後長く手には入らない。
そういったことが重なると、とりあえず買っておかなければ、というある種の強迫観念にとらわれる。そんな中、ついぞ手に入らなかったのが池田得太郎という人の「家畜小屋」という本と小田仁二郎という人の「触手」という本だった。
以前「幻想文学」という雑誌があって、「幻想純文学」という特集の中で紹介されていて、読みたいと思っていたものだ。
今は二点ともネットであっさり手に入れた。
しかしあのころの情熱は失われ、未読となってしまっている。
手に入れて満足してしまった。暇ができたのでいずれ読もう。
それから、いまではめっきり見なくなってしまった背表紙に葉っぱのような物が描かれた講談社文庫は当時まだありふれていた。
今ではあまり読まれない福永武彦や大庭みな子などの作品が文庫化されていた。
それは講談社文芸文庫となり、ど高い値段で新刊になっている。
あとは、早稲田の古本屋でよく見た本で、ミネカイヅカというひとの白い箱に入った「夜の花ざかりまたは小説」という本。
早稲田の古本屋の二つに一つにはあったような気がする。
白い箱に題名と著者名の背表紙。ぞっき本のようなたたずまいの、いまもあの本はあるのだろうか。あれは、どんな内容の本なのだろうか。

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薬が効いて やっとこさ更新しています
いけるとこまでがんばります



2018年2月3日土曜日

80年代Jニューウェーブ回想と書き物その2

前回から続きます


ほかの人が「美術館で会った人だろ」をリクエストすると「今日はリズムボックスを持ってきていないのでできない」と答えていた。
その後も何度か観に行った。
すっかりそれた。話が。
というのも平沢氏の歌詞は風刺的で意味不明の語彙も多く(たとえば「二重思考」という言葉が何度か出てきたが辞書を引いても意味が分からなかった。額面通りに受け取れば本音と建て前みたいなことかとも考えられたが、文脈の中ではよく分からない)なんだか分からないけどかっこいい、と言うのがひねくれものの心情にぴったりとマッチしたのだ。
そして、もろに影響された、といよりかぶれた歌詞を書き殴っては悦にいるというありさまであった。「よく分からないものが好き」というのはここから来ているのかなぁと思う。
その後、全く書き物が興味の対象からはずれて、いろいろして、大学に入ると、自分の基礎教養の無さ、無知さが周りとの会話からぐりぐりと感じられ、一日一冊、本を読むことに決めた。
当時、三冊百円の古本を売っている古本屋がいろいろなところにあったので、手当たり次第手に取ってみたが、結局詩集とか短編集とか、薄く短く読みやすそうなものばかりしか読まなかった。
ランボー詩集など読んだ。私小説、志賀直哉など読んだ。
すると周りがいろいろな本を勧めてくれ、それらを読んだ。作家志望の先輩がいた。
その人は不条理とか前衛みたいなものが好きで、シュールレアリスムなんてのもあるよ、と教えてくれた。結局大学一年の後半から三年に至る間に「谷川俊太郎」から「アンドレブルトン」に飛んだ。
読めば書きたくなった。
読んだら書いた。
書いたら読んだ。
自分は人とは違う、という月並みな特別感に酔い、その悪酔いはさめつつも未だにぶり返しては人生をこじらせにかかる。
ここまで来たらぐずぐす風邪を暖めてつつましく暮らしていくか。

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しばらく前の文章ですが、確かに自分は人とは違う、人と違って大馬鹿だと、無謀だと気づかされている今日この頃です

この話題
おわり

2018年2月2日金曜日

80年代Jニューウェーブ回想と書き物その1

読むから書く

もともと書き物はバンドでのオリジナル曲の為の歌詞を考えていて始めた。
よく授業中につらつらと月並みな言葉を並べた。
当時音楽シーンではパンクが大流行していて、日本でもその流れで、商業音楽とは一風変わったムーヴメントが起こっていた。
東京ロッカーズ、テクノポップ。
とくにテクノの方に惹かれた。
姉の影響でプログレッシブロックに親しんでいたので、当時のスーパー楽器であるシンセサイザーなどが最高にかっこよく思えた。
テクノ御三家(いつも思うのだがこの御三家っていう言葉はテクノには全く似つかわしくない。松平?)といえばプラスティックス・ヒカシュー・P-MODELという3バンドをさした。
YMOは別格だった。
三バンドともコンセプトは全く別なのだが、シンセサイザーを使い、ピコピコしている点でくくられた。
プラスティックスが一番ポップでおしゃれな感じと思われていたのではないかと思う。
四人囃子の佐久間正英がシンセを弾いていた。
ヒカシューは歌詞に知らない言葉がたくさん出てきて知的、当時の自分の言葉で言うと「頭良さそう」に思えた。
レトリックとか、エゴンシーレとか、何それ、でもかっこいい、と言う感じ。
しかしやはり一番しっくりきたのがP-MODELだった。
ものすごくスリリングで危ない感じがする音楽だった。
人間のピートに機械ビートを重ねたり、スパンとはじけるピコピコサウンドや、ストーカー心理を思わせる危ない歌詞が当時の都会派と思っている田舎の高校生の心をしっかり鷲掴みにした。
当時、銀座にオーディオ会社の無料ライブ会場があって、そこで生で見た。
ギター兼ボーカルの平沢進氏はどんなにエモーショナルで激しい動きをしても全くリズムが狂わなかった。
動きはダイナミックでテクノ=静のようなほかのバンドとは正反対たった。
ステージの時間が決められていたのだろう、少し早く終わってしまったようで「何かリクエストありますか?」と平沢氏が呼びかけ、「トップシークレットマン」(プラスティックスの曲)と叫ぶとその一角の他の観客から笑いが漏れたが、平沢氏からは無視された。
当時の自分は今、叱っておいた。 

次回へ続きます

2018年2月1日木曜日

剥げた楽器


剥げた楽器

ギターやベースなどは弾いている内に必ず傷が付く。
古い楽器の場合は塗装が剥げて木がむき出しになる。
それをぼろいギターと見るか、いい感じにヤレているな、と見るかはおそらく人それぞれだろう。
新品で買ったギターで練習して、一通り掃除をしてケースにしまう。
そして、またケースから出して練習し、一通り掃除をしてケースにしまう。
その内に手が滑ってテーブルの角にギターをぶつける。
幸い割れはしなかったが小さい楔型の傷が付いた。
いい気になってじゃかじゃかやったらピックのあとがいつの間にか線傷になっている。
そのころにはもういちいち掃除もしないし、ケースにもしまわない。
ヘッドのあたりに埃がたまり、指板には爪のあとがつき、とりあえず簡単なコードは全部押さえられるようになっている。
その先は本人の熱意と努力次第だが、こうして楽器は傷やはがれをまとっていく。
真新しい楽器ももちろんいい。
しかし、歴戦の鬼軍曹のようなたたずまいのギターやベースを見ると愛おしく思えてくる。
同じギターでも同じふうには傷つかない。
たとえ、量産された古い国産ギターでも枯れ方、育ち方が全然違ってくる。
中学生の時にフェンダーストラトキャスター1957年サンバーストのデッドストックを楽器屋で見たことがある。
いくらの値が付くかわからないと店員も珍しがっていた。
生まれてから、弾かれることなくずーっとケースで眠っていたギターだ。
美しすぎるミイラみたいなものだろうか。
いま、私の手元には死蔵された楽器がたくさんある。
いつかは壊れて使えなくなる日が来るのだろうが、いい感じにヤレて、しかし弾かれずに年輪を重ねられずにいる。
かといって1957年のストラトのように貴重なモノは持ってはいない。
昔買えなかった楽器を折りにつれ集めてきただけだ。
みんな一点モノ。
傷もこすれもはがれもへこみも、世界に一つだけのヤレを纏う。
その価値を少しでも感じてもらえる人に譲り、楽器たちを解放していきたい。